エスコートアガシや按摩にも居そうなほど、親近感があって可愛い「KARA」について、彼女達の経歴とその後についてまとめてみました。
K-POPブームの「その後」を追う 第二弾
有名無実化した「KARA」
2010年に起きたK-POPブーム当時、日本で少女時代よりも人気だったのがKARAです。
日本でのデビュー曲「ミスター」のヒップダンスで、日本人の心をわしづかみました。
KARAは親近感のある「かわいい系」のグループだったので、日本人にも広く受け入れられました。
また、メンバーが日本語を話せたこともあり、テレビ番組などへの出演が増えました。
デビュー当時
もともとKARAは、韓国でのデビュー当時は4人組でした。
しかし、メンバーの1人が脱退したことを受けて、オリジナルメンバーだったギュリ・スンヨン・ニコルに、オーディションで選ばれたハラとジヨンを加えた5人組となりました。
5人体制となった頃から韓国でも人気に火がつき、日本での大成功へとつながっていきました。
5人体制の崩壊
日本でも順調に活動を続ける中、2011年に一部のメンバーが待遇の不満を理由として、所属事務所のDSPメディアに対して専属契約の解除を求める訴訟を起こしました。
この当時は日本でもKARAの分裂騒動が大きく報道されたので、覚えている人も多いでしょう。
一旦は双方で和解しましたが紆余曲折の末、2014年1月にニコル、4月にジヨンがそれぞれ事務所との契約満了により、グループを脱退してしまいました。
脱退後、パフォーマンスに定評のあるニコルは故郷アメリカでのトレーニングを経て、韓国でソロアーティストとして歩み出しました。
その後、日本でもソロデビューを果たしています。
末っ子のジヨンは、日本の芸能事務所と契約して、「知英(ジヨン)」という芸名で女優としての活動を開始しています。
4人体制から解散へ
2人の脱退後に新メンバーのヨンジが加入し、KARAは4人組として再出発を切りますが、全盛期だった5人組の時ほどの勢いを取り戻すことはできませんでした。
韓国でも次第にグループとしての活動が少なくなっていき、結局2016年に所属事務所との契約満了に伴い、ギュリ・スンヨン・ハラの3人が事務所を去りました。
その結果、新メンバーのヨンジだけが事務所に残ることとなり、KARAは事実上の解散を迎えました。
「KARA」というグループ名への思い入れから、メンバーたちは解散ではないと主張しています。
今でも互いに連絡を取り合っていて関係は良好なので、いつか再結成することがあるかもしれません。
しかし、現実的には難しい状況となっています。
解散後と現在
KARA離脱後の活動はというと、リーダーだったギュリはあまり目立った活動がありませんが、女優業を本格化させていくと見られています。
メンバーの中でも日本語が上手だったスンヨンも、俳優が多く所属する事務所に移籍したので女優として活動していくようです。
最近のインタビューでも「信じて見ることができる役者」になりたいと語っています。
メンバーの中で一番人気があったハラもまた、演技の道へと進んでいくようです。
日本で女優として活動するジヨンを除き、他のメンバーたちのKARA離脱後の活動は順調だとは言い切れません。
その中では、最後にKARAに加入したヨンジのバラエティ番組などでの活躍が目立っていて、何とも皮肉な状況となっています。
KARAが事実上解散してからも、メンバーそれぞれが日本でファンクラブを発足させたり、ファンイベントを開催したりしているので、今後も日本での活動を視野に入れているようです。
「KARA出身」のメンバーたちには、これからも日本と韓国の懸け橋となるような活動を期待したいです。
有名無実化した「KARA」まとめ
K-POPの枠を超え、日本で社会的ブームを巻き起こした少女時代とKARA。
その後、2組ともアイドルグループの宿命である脱退と解散という大きな転換期を迎えました。それぞれの道を歩み始めた彼女たちは今後、果たしてどのような活躍を見せてくれるのでしょうか?
次回は、K-POPブームの「その後」番外編をお届けします。